ギリシャ債務危機
ギリシャ債務危機とは、ユーロ危機の発端となった同国の信用不安のことです。ギリシャでは2004年にアテネ・オリンピックが開催されましたが、華々しいイベントの裏側で大きな財政赤字が残りました。しかし当時の政権はこれを隠匿。ユーロに加盟している国(ギリシャは2001年加盟)は、一定の財政基準を満たしている必要があったからです。ところが2009年に政権が交代すると、隠していた事実が白日のもとにさらされることに。従来、GDP(国内総生産)の4%程度と発表されていた財政赤字が、実際は13%近くに膨らみ、債務残高も113%にのぼっていたのです(これらの数字は後に数度にわたって上方修正されます)。
その後ギリシャ政府は財政の再建計画を発表しますが、高い経済成長を前提とした楽観的なものだったため、追加の対策が必要なことは明白でした。一方で緊縮財政に反対する世論は反政府姿勢を強め、社会不安は高まる一方。追いつめられた政府は2012年3〜4月、次のような方法で強制的な債務カットに踏み切ります。実質的な国債のデフォルト(債務不履行)でした。
- ギリシャ国債を保有していた民間債権者に対して、自発的に債権放棄をすることを要請。これをPSI(Private SectorInvoIvement)といいます。民間部門も巻き込んだ対応策といった意味です。
- PSIに応じなかった債権者に対しては、集団行動条項を適用。これは、全体の一定割合の債権者が同意すれば、不同意の債権者に対しても債権カットを強制できる、とするものでした。
ギリシャ自身は「これは自発的または契約にもとづくものでデフォルトではない」と主張しましたが、 格付け会社はデフォルトとみなしました。この結果、イタリアやポルトガルなど(PIGS)に対する不安をさらに助長し、ユーロ崩壊の可能性が現実味をおびる事態へと進展していったのです。