ポンド危機

   為替が変動相場制に移行して以後、欧州は城内の為替相場を安定させるための試行錯誤を繰り返します。それはやがて1999年のユーロ誕生として結実するのですが、その途中で起こった事件がポンド危機(Pound Crisis)です。

欧州通貨制度の始まり

   1979年3月、欧州共同体(EC)は欧州通貨制度(EMS)を採用し、欧州為替相場メカニズム(EMR)を導入します。これは2通貨間の変動を市場介入等で±2.25%の範囲内に抑えるというもので、緩やかな固定相場制です(通貨の一方がイタリア・リラの場合は±6%)。

   1990年になってイギリスもEMSに参加しますが、ポンドにとって不運だったのは、この年に東西ドイツが統合したことです。その結果、ドイツはインフレとなり、金利を引き上げます。マルクには上昇圧力が加わった結果、メカニズムを維持するため、イギリスを含むEC各国も利上げに追い込まれます。しかし、この当時のイギリスは低成長にあえいでいました。とても金利を引き上げられる状態ではなかったのです。

ヘッジファンドとの戦い

   そこに目をつけたのが、ジョージ・ソロス率いるヘッジファンドでした。彼らはオプションなども駆使してマルク買い・ポンド売りを仕掛けます。そして1992年9月にポンド売りの流れはピークを迎えます。イングランド銀行はこれに対抗して、16日には公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらに数時間後には15%へ再利上げします。しかしポンド売りは止まらず、イングランド銀行はERMの維持を放棄。公定歩合を10%へ戻してしまいました。

   この日は後にブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれるのですが、先進国の中央銀行がマーケットに屈した日だったわけです。翌17日にイギリスは正式にEMSを脱退し、変動相場制へ戻ります。ポンドがようやく下げ止まったのは、翌年2月のことでした。なお、ポンド危機は欧州通貨にも波及し、1993年8月にEMSは変動幅を±15%へ拡大します。

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