ロシア危機

ロシア危機とは

   ロシア危機(The Russian Crisis)はロシア財政危機やルーブル危機とも呼ばれます。コアとなるのは、1998年にロシアが突然のデフォルト宣言を行ったことによって国際資本がロシアから逃げ出し、それに伴ってルーブルが暴落したことです。しかし混乱はロシア一国にとどまりませんでした。ではまず前年の様子から見ていきましょう。

1997年のロシア

   ロシアの主要産業は原油や天然ガスなどの資源産業ですが、この年、資源相場の下落でロシアの財政は悪化の一途をたどっていました。その結果、炭鉱労働者に対する賃金未払いが発生したことから、大規模なストが発生。社会不安が台頭していきます。そこへ追い打ちをかけたのが、アジア通貨危機です。7月にタイが変動相場制へ移行したことを発端に多くのアジア通貨が急落しました。ルーブルも徐々に下落しますが、この時点ではまだ暴落というほどではありませんでした。

1998年のロシア

   ロシア政府は財政危機に対する政策として1月に3桁デノミを実施(例えると昨日まで1000円だったタクシーの運賃が1円になるということです)。さらに3月にはエリツィン大統領が首相を突如罷免し、政治不安も台頭してきます。ようやく議会の承認を得た新政府は、ルーブル防衛のため金利を150%に引き上げますが効果なし。介入のための外貨準備も底をつき、万事窮すという状態に追い込まれます。そして8月17日、ロシア政府は突然、次のような四つの政策を発表したのです。

  • 民間の対外債務の支払いを90日間猶予する(モラトリアム)。
  • ルーブル(ロシアの通貨)の変動幅を1ドル=6.0〜9.5ルーブルとし、実質的に引き下げる。
  • 海外居住者による短期的なルーブル資産への投資を禁止する。
  • 99年末までに償還期限の来る国債を新証券に切り替える(デフォルト)。

   さらに、8月27日には外為取引を全面的に停止しました。こうしたロシアの政策によって世界の金融市場は大混乱をきたし、債券相場や株式相場が急落。それはLTCMをはじめとするヘッジファンドの破綻を招き、混乱に拍車をかけます。この、ロシアを震源地とした一連の金融不安をロシア危機といいます。結局、世界的な信用収縮を懸念したアメリカとIMF(国際通貨基金)による緊急融資によって、混乱は徐々に収束していくことになります。

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