バブル
バブルとは
バブル(Bubble)は泡のことですが、はかないものの象徴でもあります。経済用語として使われる時は、過剰流動性の供給などによってマネーゲームが喚起され、株や不動産の価格が実態を離れて高騰する現象をいいます。またそれによって潤った人々が贅沢に走るため、景気の浮揚感を伴います。しかし所詮はマネーゲームですからいつまでも続きません。勝ち逃げを図る人が徐々に増える一方、まったくの素人までもが参加するようになった時点で買い手はいなくなり、ゲームは終焉へと向かいます。政府のバブル対策によって幕を下ろすこともあります。
歴史上バブルは何度も発生していますが、近年では各国持ち回りのように発生しており、バブル経済の時代と言っても過言ではありません。以下、歴史上有名なバブルと近年の状況について解説します。
チューリップバブル
世界最初のバブルといわれているのが、1637年に現在のオランダで発生したチューリップバブルです。その名のとおり、投機の対象となったのはチューリップ。それも球根でした。もともとは愛好家の間で普通に取引されていたのですが、品種改良でブームが広がり、人気種が高値で取引されるようになります。チューリップはもともと増産が難しい植物だったため、希少価値を生みやすかったのです。そこに目をつけた商人や裕福層が、転売目的で取引に参加するようになり、一財産築く者も現れます。
そうした噂が広がって、ついには農民などの貧困層までもが投機に走り始めます。この背景には先物取引に似た取引形態の登場があります。少ない担保で取引を始められ、それをさらに転売することができたのです。これによって熱狂が生まれ、球根一つで邸宅が買えるほどの暴騰を招きます。当然ながら実需家であったチューリップの愛好家はそんな高値では買いません。一般大衆までもが手を出すようになると、もうその後に続く買い手はいません。球根の価格はある日突然に暴落し、オランダ中を混乱に陥れることとなったのです。
平成バブル
日本でも1989年(平成元年)前後をピークとしたバブルが発生しています。チューリップバブルは民間で自然発生的に生まれたものでしたが、日本のバブルは政策の失敗によってもたらされたものでした。バブル発生の遠因となったのはドル安誘導を決めたプラザ合意です。これによってドル円相場は240円から120円まで下落。日本では円高不況が到来しました。そこで政府は景気を刺激するため財政支出と減税の大判振舞を行い、日銀は急激な金融緩和を実施しました。これがバブルを生んだのです。また、低金利で利益確保が難しくなった銀行が、不動産融資に走ったこともバブルを助長しました。
日本のバブルで値上がりしたのは主に不動産と株で、山手線内の土地の値段を合計するとアメリカ全土に匹敵するとまで言われました。また株は、ブラックマンデー(1987年10月)直後の安値21,000円から史上最高値の39,000円(正確には1989年12月29日大納会終値の38,915円87銭)まで、2年の間に約85%も上昇したのです。ゴルフ会員権や美術品なども投機の対象となり、高級外車が飛ぶように売れました。
この官製バブルをほじけさせたのも国の政策でした。1990年3月に大蔵省(当時)が打ち出した総量規制と日銀による金融引き締めによって、信用収縮が一気に進んだのです。前年に導入された消費税の影響もあって景気は急激に悪化。日経平均株価は同年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落したのです。
ITバブル
1995年にWindows95が発売され、インターネットが一般に公開されると、IT(Information Technology)ブームが巻き起こります。それに合わせて多くの関連企業が生まれ、上場ラッシュとなりました。IT関連企業がこぞって上場したNASDAQの株価指数は上昇の一途を辿り、1998年末頃は2,000ポイントだった指数が、2000年3月のピークには5,132ポイントまで上昇。しかし赤字のベンチャー企業に対する警戒感や過熱感からバブルは崩壊。2002年10月10日には1,108ポイントまで下げています。なお、日本ではITバブルやインターネットバブルと言いますが、欧米ではドットコムバブル(Dot-com bubble)と言います。
米国の信用バブル
ITバブルと機を同じくするように、米国の政策金利であるFFレートは、2000年には6.5%まで引き上げられました。しかしその後は逆に、景気対策のために急速に引き下げられ、2003年にはとうとう1%まで下がります。これは当時としては異例の低水準でした。
この金融緩和こよって、本来ならクレジットカードすら持てない低所得者層(サブプライム層)にも、低金利の住宅ローンが行きわたったのです。結果、住宅価格が上昇。米国の住宅価格指数は、2000年を100とすると、2006年には226まで上昇しました。しかし一方で、FRB(連邦準備制度理事会)は2004年から金融政策を引き締めに転換していました。政策金利は上昇を続け、2006年には5.25%へ。住宅ローンや自動車ローンで債務不履行が多発するようになります。そして2007年、パリバショックが起こり、世界は未曽有の大混乱へ向かっていくのです。
- 参考記事:懸念が広がるレバレッジドローン
中国のバブル
リーマンショックによって世界的に景気が悪化するなか、中国政府はGDPの16%に相当する4兆元(約57兆円)という空前規模の景気刺激策を実施しました(2008年11月)。これは世界経済が立ち直るうえで重要な役割を果たしましたが、中国国内ではマネーゲームを沸騰させ、バブルを生んだのです。対象となったのは主に不動産でした。
中国では土地の個人所有が認められていないため、正確には使用権価格が大きく値上がりしました。そこで当局が融資や土地取引に規制をかけたところ、行き場を失った投機資金は株に向かいました。2014年半ばから上昇基調となった株価は加速度的に上昇。2015年になると、証券口座の新規開設数が1か月で東京都の人口に匹敵するほどになったのです。信用取引の残高を見ると、2014年5月の8兆円から、2015年5月には39兆円にまで膨張しています。しかしバブルはいつか弾けるもの。6月にピークを付けた株価はその後急落することとなりました。大底を付けたのは翌2016年1月のことでした。
- 参考記事:中国の不良債権問題
スーパーバブルの時代
まず日本でバブルが生まれました。その崩壊後、景気後退の中で量的緩和が行われ、マネーが世界中に溢れだしました。さらにリーマンショックへの対策として世界中で金融緩和が実施され、史上稀に見る低金利時代が出現しました。そんな中、政府・企業・個人が抱える債務残高が膨張を続けています。
世界の企業(非金融機関)が抱える有利子負債の総額は、2007年から10年で2倍になっています。特に目立つのが米国、中国、アジア諸国です(日本と欧州は若干の増加)。こうした状況で金利が引き上げられれば、企業の支払い負担が増し、債務不履行が世界中で起こりかねません。現在は、過度な財政出動や金融緩和で生み出された妖怪(過剰流動性)が世界中を排桐し、もはや誰も退治することが出来なくなっています。まさに世界規模でバブル状態が恒常化したスーパーバブルの時代となっているのです。